東京高等裁判所 昭和50年(ラ)475号 決定 1975年10月27日
抗告人
小林清子
右代理人
百瀬和男
主文
本件抗告を棄却する。
理由
抗告代理人は、原審判を取り消したうえ、本件を東京家庭裁判所に差し戻す旨の裁判を求め、その理由とするところは、別紙・抗告理由書および抗告理由補充書に記載のとおりである。
よつて審案するに、民法九一五条一項所定のいわゆる考慮期間の始期となる「自己のために相続の開始があつたことを知つた時」とは、相続人において相続開始の原因たる被相続人死亡の事実およびそれによつて自己が相続人となつた事実(相続権を有するにいたつた事実)を認識した時をいうものと解すべきである。これを本件についてみるのに、一件記録によれば、抗告人と被相続人小林廣は昭和一〇年一月二二日婚姻の届出をして法律上の夫婦となり、同二二年一〇月九日頃より抗告人の肩書住所に同居していたところ、同四八年二月二〇日夫の被相続人廣が東京都品川区内で死亡し、同年同月二六日抗告人が同居人としてその旨の届出をしたことが認められる。右事実によれば、抗告人は少なくとも右死亡の届出をした昭和四八年二月二六日には被相続人廣の死亡した事実を知つたものと認められ、かつ、その当時抗告人において心神喪失の常況にあるなど特別な事情の存在しないかぎり、その夫である被相続人廣の死亡により自己において相続人となつた事実を認識したものと推認されるところ、抗告人において右死亡届出の当時、前記特別な事情のあつたことを認めうる資料はないから、抗告人は遅くとも右死亡の届出をした昭和四八年二月二六日には自己において被相続人廣の相続人となつた事実を認識したものと認めるべきである。
抗告人は、右考慮期間は相続人が相続財産の有無を具体的に知つた時、すなわち本件にあつては、抗告人がはじめて相続債務の存在することを知つた昭和五〇年六月一二日から起算されるべきであると主張するが、所論は独自の見解であつて、当裁判所の採用しないところである。けだし、相続人において法定の考慮期間内に相続財産の有無ないし範囲が明確でないときは、その期間の延長をえて(民法九一五条一項但書、家事審判法九条一項甲類二四号参照)、その間に右の点を調査したうえ、相続の承認ないし放棄のいずれによるかを判断することができるからである。
そうすると、抗告人は被相続人廣との関係において、自己のために相続の開始があつたことを知つた昭和四八年二月二六日から三か月以内に相続の限定承認または放棄をしていない以上、その相続につき単純承認をしたものとみなすほかはない。
よつて、抗告人からの本件相続放棄の申述はすでに申述期間を徒過した不適法なものであることが明白であるとし、同申述を却下した原審判は相当であつて、本件抗告は理由がないのでこれを棄却することとし、主文のとおり決定する。
(安倍正三 岡垣学 唐松寛)
〔抗告理由書〕
一、抗告人は、現在六九才になる孤独の老婆であり、自己所有のわずかな物置小屋の如き荒屋に生活、医療保護をうけて病院に通いながら、細々と毎日を生活している者である。只一人の身内であつた被相続人である夫の廣は、病気療養中、昭和四八年二月二〇日死亡した。
被相続人は当時、病院に入院しており、同人名義の不動産も、又みるべき財産もなくひつそりと此の世を去つたので抗告人もそのまま経過したのである。
二、然るに、抗告人は、たまたま本年六月一二日、抗告人代理人より高橋一郎弁護士が、亡廣を連帯債務者とする被告訴訟事件を担任していることを聞き、さらにこれが敗訴によつて抗告人が相続人となつて責任をもつものであること、そして同時に相続について放棄の制度があることをも教えられて、昭和五〇年六月一六日、相続放棄の申立をしたのである。ところが、八月二二日この申述は期間を経過しているとして東京家庭裁判所より却下された。
三、しかし、本件抗告人が民法第九一五条第一項にいう「自己のために相続の開始があつたことを知つた時は、本年六月一二日であり、相続放棄の申立をなしたのは、本年六月一六日であるから、申述期間を徒過したということはできず、原決定は誤りである。
本件において、原決定は、民法第九一五条の「自己のために相続があつたことを知つた時」との解釈を誤つている。この規定は、過去の判例によつて明らかな如く、只被相続人の死を知つたということのみでなく、相続人が、実質的に相続財産の有無と相続の意味を知つて始めて、自己のために相続があつたことを知つた時となるのである。そうでなければ、この規定が相続人を保護するためのものであるということにならないし、又熟慮期間三ケ月というのは、相続財産の有無と相続の意味を知つて始めて問題になるのである。将来発見されるべき債務を予測して相続放棄せよというのは不能なことである。遣産が客観的に存在することが判明し始めて熟慮できるわけであるから、この熟慮期間は、その存在を知つて始めて開始するというべきである。この点について全く顧慮しない原決定は、重大な誤りを犯している。もし、本件の場合において、相続放棄が認められないならば、何の為に相続放棄の制度が認められているのかわからないというべきである。生活医療保護をうけている年老いた老婆が何故、今迄知り得なかつた被相続人の過大債務をなお背負わなければならないのか。前記規定は、本件の場合にこそよく適用して始めて意義があるのである。結局、本件において、相続人の債務を具体的に認識したのは、昭和五〇年六月一二日であるから抗告人が自己のために相続開始があつたことを知つた時は、右の昭和五〇年六月一二日であるというべく本件申立は、それから法定の三ケ月以内であるから、適法というべきである。原決定は、同種事件の原審、東京家裁、昭和四七年六月二日審判(家裁月報二五巻五号五〇頁)に違反するばかりか、大審院大正五年八月三日決定(民集五巻六七九頁)、大阪高裁昭和四一年一二月二六日判決(判例時報四八五号四七頁)の各判例にも違反するものである。
以上よつて、原決定は取消されるべきである。
なお、原審においては、抗告代理人に対し、抗告人の不動産競売手続停止の仮処分申請事件(昭和五〇年(ヨ)第一一八四号)を検討したいとの命をうけて、その事情を申述補充書(昭和五〇年七月一四日付)に記載申述したが、これは、現在、抗告人が住んでいる抗告人所有の物置小屋の如き住居に対しての抵当権実行の事件であつて、本件とは全く関係のないものであり、抗告人代理人が抗告人に係りあいをもつに至つた事件であるというだけのものである。この時には、全く亡廣の事件のことは、知らずにいたもので、もし知つていたら高橋弁護士に相談し、抗告人本人の仮処分事件をも依頼していたのである。全く知らずにいたため、この仮処分事件を抗告人代理人が担当していると聞いた高橋弁護士が、抗告代理人に、亡廣の訴訟事件の話をしてきたのである。
〔抗告理由補充書〕
相続放棄申述の熟慮期間の起算点は、相続人が「自己のために相続の開始があつたことを知つた時」である。従つて被相続人が死亡した事実を知つても、またそれによつて相続が開始したことを知つても、まだそれだけでは、熟慮期間の進行は始まらないのである(大、民大正一五、八、三、民集六八〇頁)。その相続が「自己のため」のもの即ち自分がその相続について相続権を有することを知つた時に初めて熟慮期間は進行を始める。相続人が法律に暗らかつたり、事実を誤任したため、法定期間を徒過したとしても自分が相続人であることを知るまでは、やはり熟慮期間の進行をみないのである。
参照 福岡高、昭和二三年一一月二九日決定、家裁月報二巻一号七頁、大阪高、昭和二七年六月二八日決定、家裁月報五巻四号一〇五頁、大阪高、昭和四一年一二月二六日判決、判例時報、四八五号四七頁、高松高、昭和四七年六月二六日判決、判例時報六七八号五五頁、有斐閣、法律学全集、相続法(中川善之助)二三六頁以下、注釈民法(25)三二八頁以下、
原決定はこれら学説判例に違反し、何ら理由を付さずに、機械的形式的に被相続人死亡より計算して期間経過を認定している誤りがある。